「東京ほくと医療生協65年のあゆみ」紹介
2018/09/05 東京ほくと
病気ではなく、病人を看る、生活と労働の視点をもつ
北区豊島 油座よしや (看護師)
この仕事なら人の役に立てるかもしれない。そう思って看護師という職業を選び、長い間ほくとで働いてきました。3人の子育てをしながら、先輩同僚はもちろん、職場保育所や地域の保育園に助けられました。1980年に出された「看護婦のおやじがんばる」の本は映画化もされ、夫の協力を引き出すきっかけになりました。夜勤の無い給料の低さ、夜勤12回の過酷さ、日勤が終わらず職場で出前をとり、子どもと夕食をとった日々。どれも懐かしく、仲間がいたから出来たことだと痛感します。
私は外科病棟が長く、当時の癌治療は切って治すことが主流でしたから、癌を中心とした広範囲の切除を行いました。そのことが術後の生活に影響を与えるため、看護はその影響を少なくすることに力を注ぎました。
1995年に生協浮間診療所開設に携わり、貴重な体験をしました。動けなくなった患者さんが、何年もの間、直接診察を受けていなかったのです。往診を行うことで医療管理ができ、当たり前の医療が受けられるようになりとても喜んでもらえました。
私を支える原点は、無差別平等、人権を守る、地域に根差す、平和の追及。そして看護の視点は、病気を看るのでなく病人を看る、背景をとらえる、生活と労働の視点をもつことです。今も後輩達が日々の看護実践で続けていることを嬉しく思います。
そういう東京ほくとの歴史が掲載されています。みなさんもぜひお読みください。