医療と介護の現場 戦後を生き抜いた人たちの介護に思う
2016/11/16 東京ほくと
昨年の春、「ケアマネをわかばさんにお願いできることになった」と笑顔であいさつしてくれたBさん、おじのAさんの介護者です。生協でケアマネをお願いできたことが嬉しかったそうで、その後、法人内の人事異動で担当を引き継ぎました。
Aさん宅に電車を乗り継ぎ一時間以上かけて顔を見せるAさんの兄に合わせてケアマネジャーも訪問。姪と3人で外食するのを楽しみにしているAさんですが徐々に心身の状態は変化します。老人保健施設ほくとはなみずきのショートステイの利用、今夏の終わりに福祉用具サービスハピネスの職員と一緒に訪問、Aさんの立ち振るまいなど、じっくり見ながら、ご本人のできることを支える視点で福祉用具の活用を提案していただきました。
主治医、デイサービス職員から「今の暮らしを続けられるようにするための提案」の手紙も届きます。ご家族と多くの関係者が手をつないでAさんの状態に合わせ、かつ先を見通しながら応援が続きます。
8月の訪問時でした。
「僕は玉音放送を聴いた後、宮城《きゅうじょう》(皇居)に行き土下座した人間です。戦争に負け申し訳なくて謝らなきゃと考えました。焼け残った学校の図書室に畳を敷き寝泊り、必死で勉強、それが僕の戦後の始まりです、あの時代が二度と来ないように若い人たちに学問を教える仕事に就きました。」8月15日のことを覚えている方から何を聞き残すのか、大事です。 (地域ケアセンターわかば・ケアマネジャー・大場栄作)