福島の思いを語り継ぐ~東日本大震災から13年~
能登半島地震に遭われた皆さんにお悔やみとお見舞を申し上げます。2011年以来、志賀原発は稼働していなかったこと。珠洲原発が地元の方々の反対運動で建設されていなかったこと。そのおかげで原発事故に遭わなくて本当に良かったです。もし事故が起こっていたら、あの半島では逃げようがなかったと思います。
私たち双葉郡の住民は最短6年間、町に入れませんでした。その間に浪江町の4000あまりの家屋は解体され、更地となりました。
震災前は最も賑やかだった「新町通」も、今は草が生い茂る
21000人いた町民は現在2146人居住で、1/10に減りました。いまだに立ち入れない津島地区や大堀地区があります。
私たち夫婦は放射能に遭わず飛行機で東京に逃れてこれましたが、小中学生で浴びた方たちが300人あまり甲状腺がんになったのです。その中の勇気ある7人が起こした裁判が「子ども甲状腺がん裁判」です。手術や治療のため大学生活を送れなかった方、就職できなかった方たちの話に、傍聴に通った私の涙がこぼれました。
コロナ前までは首相官邸前や国会議事堂前の反原発デモに毎回通い、一分間スピーチをし、東電刑事裁判の傍聴にも毎回出席しました。その中で、あの原発事故が単なる自然災害ではないことを知りました。
あの地震の何年も前に東電内では地震の可能性とそのときの津波が10m盤を越すことなども計算していました。そしてその対策を取ろうとして巨額の費用がかかることを知り、やめてしまったのです。
この裁判は今最高裁にかかっています。もし元会長・副社長の3人が無罪となってしまったら、私の夫を含む2335人の原発関連死者は浮かばれません。
東京都では、2022年12月の都議会で、2025年4月以降の新築住宅には太陽光発電設備の設置が義務づけられ、その補助金を都が出すことが決まりました。少しずつ脱原発の動きは強まっています。
豊島7・8丁目支部 門馬 昌子(浪江町民)