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71年後の広島に立ち、思う 「平和のバトンを引き継いでいく」 ピースアクションinヒロシマ

2016/10/05 東京ほくと

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8月5~6日、日本生協連主催の「ピースアクションinヒロシマ」に組合員と職員5人、8月4~6日に行われた原水爆禁止世界大会に北区の仲間とともに職員7人が参加しました。

●平和を願う活動のバトンを引き継ぐ
赤羽東支部
小林 京子

今回の旅での一番の収穫は、被爆の実相を伝え平和を願う活動が、次世代に着実に受け継がれていると実感できたことです。「ヒロシマ虹のひろば」では、コンピューターグラフィックスで作成した被爆直後の広島市内の復元映像と、被爆者の体験を基に描いた「原爆の絵」に出会いました。どちらも広島の高校生グループの作品で、力作で完成度が高く、感心しました。
また、翌日の平和公園内の「碑めぐりガイド」では、愛媛から来た大学生が暑い中、一生懸命に慰霊碑の説明をしてくれて、とても頼もしく嬉しく思いました。
戦後71年、悲惨な体験を直接語れる方の年齢は80歳を超えています。体験を伝え、思いを多くの人に託していくことが何より大切です。私も広島でバトンを受け取ったつもりで、まず、自分の家族やまわりの人に思いを伝えていこうと思いました。

●当時10歳の少年と同年代を生きる
足立西部第1支部
大畑 タカ

地元の中高生の行動に感動しました。虹のひろばで見た、被爆体験証言者とともに作りあげた当時の絵は、見るものにも充分情景がわかるものでした。「焼き場の少年」のパネル、時世とはいえ少年の行動に胸のうちを思うといたたまれない思いでした。当時私もこの少年と同じ10歳でした。翌日の式典では、平和への願いを全身で受けとめることができました。あの場の空気がそうさせたのだと思います。

●被爆体験を聞き眠れぬ夜過ごす
足立西部第1支部
田沢きよみ

10歳・15歳で被爆した体験を聞きました。今まで新聞記事などの情報で得ていたより衝撃的で現実的でした。この日はよく眠れませんでした。翌日の平和祈念式典、資料館、碑めぐりに参加しました。平和な日々をおくれるよう、私なりに経験したことを伝えていきたいです。

●家族との別れや死は想像を絶する
組織部
富田 早貴

2人の方から被爆証言をお聞きしました。被爆体験を辛そうに話されている姿を見て、悲惨な環境の中での家族との別れや、人が死んでいくことが想像を超えるほどの辛いことであると感じました。普段の生活が当たり前ではないと改めて気づきました。
2日目の碑めぐりでは、朝鮮人の原爆犠牲者慰霊碑があることを初めて知り、戦争で命を亡くしたのは日本人だけではないことを知りました。
戦争を引き継いでいく世代としては、まずは戦争を知り、一人一人が戦争による被害を自覚することが大切で、また、そのことをよりリアルに伝えていくことが必要だと思いました。

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